「どうしようもない」の感覚が終始漂うように自分の周りにあって、それを時と場合でかわすか、
ひたひたに受け入れるか、良い武器かのように使うか
みたいな選択肢の中におったけど、それがくっと広がって そのゾーンは世の中にちゃんと存在してるんやと感じたのが最近。
気付く気付かないの話ではなく、もちろん偉いダサいなんていう稚拙なものでもなく
所在があるふりをしたりしてエピソードを伝えるけど、その身があるということ以外は実在していない ような感覚というか。
その人が落とした点に触れることなんて出来なくて、ただそれを都度見せてもらっている
それに対した自分の答えもその場にらしく浮かびはするけど、それを誰も持ち帰ることはなく
それを「見た」ということだけを時々思い出したりする
いつも手元にあるのは自分のその身ひとつで、
纏っている残り香だったり近々の感触でコンディションを保って
少し難しくなったら、必要になった時系列を その度わがままに 再構築して追体験しているような気がする。今持っているのは余すことなく妄想。
丸々は、起こったタイミングにしかなくて あとはもう亡霊のように漂わせてそれに憧れて追って成長・変態していっている
そこに血が絡むから恋愛だったり親友だったり、
物理的に近くに居続けたい という感覚で堪らんくなったりするんかなあ。
その瞬間でのジャッジには何も意味はなくて無くしてもよくて、瞬発力だけで 一動物として熱量だけで決めたりして。それを有りとしている
もう正しさはなくて、
うれしさ悲しさの差異もない、ぶつかるくらいの近さで代わる代わるハッと首を出す束を
「楽しい」「つらい」と感情として処理して
結局その場その場にぽつと置いていくしかないような気がしている。
何も予想で語れることはない
そういう意味でどうしようもない。
だから嬉しいし楽しいしさみしくもなる
と思っている。