kutta

たまに

平気

 

1年弱ぶりに帰省をした。

今までは季節毎に、むずかしくても半年経てば足が向いていたが
この1年は小さな悩みや思いが重なり、そこを離れると忘れてしまいそうで、自然と帰らなくなった。


地元には信頼と、ある種のパターンを置いてきたので
きっとその中に投じると「自分っぽく」物事を片してしまうんじゃないかと思っていた。

外から見られている、たまに頼りにされる自分。
得意でも不得意でもないそれに頼りたくないと強く感じていて。

 

ここから年末に向けて新しく連休を作る余裕はなかったので、2日。
とりあえず実家に1日、親友に会いたいともう1日

2週間前に勢いで決めると、肩の力が抜けたのかそこからはするりと靄を忘れて
他の自分でばかり考え答え、前日を迎えた。

 

今は帰りの新幹線で、ぽつりと浮かんだ言葉から芋づる式に打ち続けているけど
感傷もはつらつも大きいものはなく、むしろ地続きでしかないことをまざまざと提示された様な心地で
なるほどなーと日記を付けている。

なにがなるほどなのかも、たぶん出てこない。



この1年でより強くなった習性として、気持ちがどうしようもなくブレると創作意欲に変換して
それに充実感と、すぐ後に虚無を見て 地獄やなと思うようになった。

あまりに1人なんじゃないかと辛くなる。起と結にしか登場人物がいないんじゃ、とても続かんぞと。

「でもたぶん最高なんよ」と、のそのそコーヒーを淹れて
夏に買った保温カップでちまちま飲みながら、それと等しいスピードで自分自身に説いて 半歩ずつ進む。

這うのもこわいから歩き出すとつったか中ぐらいの速度で目線を高くして進んでいってしまうし、でも目配せせずに続ける強さもない。
オンリーワンだなんてとんでもないと迷わず過る卑屈さは、あまり褪せてくれない。


じゃあなんで止めないのかとなると、「それだけではないから」というだけで
暮らすには知識も体力も情も求めて、それが乱反射して自分にもしっかりと刺さるので
自身の主導権は自分で握るんだと、責任という名目で手と頭を動かす。

 

「もういいよ」と言われると挫けてしまうタイプで
それを知ってか子供の自分も知っている友は「頑張ったね」とか「無理しないでね」とほとんど言わない。

気遣っていないわけでは全くなく、ただシンプルなだけで
それがどんなにありがたいか言葉にし切れず 今回もしかと吸い上げて、昨日はほくほく元気に30分歩き回ってから家に入った。

 

この境界線をまた越えて明日を迎える訳で、いつもはめそめそしたりエモーショナルになっていたけれど
今見せつけられているそれによって、どんどん目が冴える。

もうこの先反転する様な事はないのかもしれない。
体や心の重みが増したのか、幅が出来てうまく融通が効かないのか

未知が少ないことに対しての焦りや怒りは目に見えて減った。
今の自分には生き残ることが重要だ。
形を、どう留めたいのか練ることを辞めたくないのだ。

 

器用ぶって言うと理想は多面的で、
雑に言うと知識も体力も情も全部引っ被って風邪引いても誰も助けてはくれないのだから踏ん張るぞ というパワープレイ。

 

今言いたいことはと聞かれたとしたら
僕は「平気」です になる。

今の僕の「平気」にぶら下がっていたものの日記

 

 

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