26年日記 04_1
0409
物事には「真実が潜んでいる」のではなく「真実を蓄えている」ということ、
誠は探すものではなく、すでにあるそれを受け入れられるか否かということ。
みなが様々に装う中で、それらしい真実を点で、自分の手を使って落とすしかできない。
「それなり」を重ねた頃にやっと核としたい思いが見えてきて、写し絵のようになぞったときにやっとそれが誠然として棚に並ぶ。
誠たちは、距離としては誰にでも手に取れる場所にあるが
もちろん形状も状態もそれぞれであるため選り好みの対象となり、全員に出番があるわけではない。
見せるために置いたからという理由であれば必ず報われるというわけではないのだ。
0411
自他の雑味に向き合う体力が今ならあるかもと思い、まだ考えを続けている。
そして何故体力がないと続かないという考えに至りがちなのかという問いにも久方ぶりに向き合う。
出来事への選択肢というのは、極論全てに伴う。オートメーションのように、脊髄反射のように答えてしまえるほどの日常には鈍感になってしまうけど。
そうやってすれ違う無自覚に削られている感覚というのもなくはないが、でたらめになってしまう部分まで含み始めるのはズルではないかという
謎に頑固なルールによってあまり気にはしていない。
蓋をしている訳ではなく、むしろジッと見つめながら立ち去るような気味の悪さを携えている。
なので自ずと違和感や予定としての大きさによりフォーカスがあたっていき、まるでiPhoneで撮った写真のように
実際のカメラでは絶対にならないような被写界深度で、いやにくっきりタップした先だけがきらめいて目立っていく。
そこから切り出して考えようとしたとき、まわりを切り取るだとか、むしろ俯瞰した視点を確保してからだとかではなく、まず始めに色を足すことから初める。
対象そのままで捉えられるのならしこりとして残っていないからというのがひとつ、過剰になることで今のモードと度量が測れるからというのがひとつ。
そしてそれを元の色に戻すためにあれやこれやと悩み抜くときに、どの段階・階層に苦手が存在していたのが何と無く見える気がするので
過剰を生み出してから元の状態へと変換していく手法をよく取っている。
はじめから直接(自分の中での)真実にたどり着こうとすると、心地よさという理想に引っ張られて自分に有利過ぎるのではと悩むし
ノイズを取り除くという見方をすると、大半の外部交渉に負担を覚える性分ではほとんどを除いてしまいかねないので
悩みはまず遠くに置いて、発酵させ膨らませて、その後近づいたり離れたりしながらディテールを確かめる。
そして自分なりの造形にあたりを付けてから復元に取り掛かり、その作業の中で今思いつけるルールを知る。
世の中が移っていく大変さをこぼすことはもちろん必要で、抑えるべきではないが
自分自身も変わり続けるのだということに自覚的にいなければと年々思う。
且つ見える形、見える場所で行う立場にあるのではとも強く感じる。
開拓でも先導でもなく、ただ今後ここを通るかもしれない人に軌跡を残しておく。
希望でもノイズでもよいので、きっかけとなる可能性は残したいと願っている。
私の悩みは長い。

26年日記 0210
仕事がどんどんと量が増え忙しくなり、伴って覚醒したフリの頭が外に外にいこうとするので
納めるためにまた書くというルーティンでなんとか気軽に発散しようとしている。
ふとアプリのバッジを消していこうと日常的なものを叩いていくと、PayPayに送金と共にメッセージをもらっていたのを数件見逃していたのに気付いた。
直したいと思い続けてはいる連絡不精の中でも、メールとライン以外のチェックが雑なせいで「今」でしかないチャット的な勢いのものをこぼしてしまうことには変に、特にへこむ。
「あのときならああ返してたな」という独りよがりには逃げ場などなく、過去のものともゆるく噛み合って長く長く連なる。よっぽどの端以外は読めてしまう。
自分にだけ返ってくる拙さだけならいいのにと浮かんだ後に、そんなん何も続かんやろと当たり前に帰る。
懺悔かのようにその人が好きな曲やポッドキャストを聴いたりすることが多く、そうするとより鮮明に輪郭を示し始めるあれこれにまたナイーブになりつつ。
あの人が好きだから好きという感覚は強いな、揺るがないのは憧れが混ざるからだなと挙げては指折り数える。
19歳くらいからは好意を持てる人に定期的に出会えている。友や恋人や仕事先や、様々な場所で、あまり変わらないスパンで。
今現在の関係性なんかは測れないし測らないが、確実に自分の中で貯まり増えていく憧れに
またひとつ確信的な出会いが入った。
兆しを知らすPayPayをもう一度眺める。


鮮度
理想のお洒落のために熱心な厚着をして、こ汗をかきながら、でも凛と清々しい顔をした若者を横目に
暗さを拭いきれない目の中に買いたてのエッセイの一行目をねじ込んでは、うかうかと車窓やら電光掲示板を見る自分を「大人っぽいかもな」と思う。
最近はどうだこうだという感想はかなり混濁としていて、自分の意見なのか、掛けられた言葉か、外で繕った「その時の自分の役割」としての意見がずるずる残っているのか
日付もラベルもくしゃくしゃのものをただ眺めている時間が長い。
もちろんすべてが自分ではあるのだが、空気を変えるためには今目の前にあるラインナップに良し悪しを付けて、重いものを畳むための線が必要で
どうにも自分のような違うようなでは、すべてを捨ててしまいたくなってしまう。
もちろんしないし、まだまだ眺めていても空きがありそうなキャパを備えていることに「大人っぽい」と思ったのだ。
昔から無情だと言われることに対して、引いて見れば世の中全部そうだろという過激なジャッジをしていたので
こういう類いの悩み方は得意だ。染みついた癖には理想の年相応が混ざってグラデーションになっている。根の色はずっと同じなので新鮮味はない。
そして新鮮ではないから言えなくてもいいかと「その他」の箱に入れて、フィルターで濾してアクを抜くという工程を介さなくなってしまうので
そのままの荒い粒度で蓄積して今なのだ。
どうしようかなと思いつつ服を買い、人と会い、季節とだけ捉えた年末というものを意識している。
衣替えをしなければいけない。


SISI
あきらかに余るほどの多忙さでずっとぼんやりしてしまった。
それはもちろん作業に追われたことが根本で、環境を変えてしまうほどのパワーがあれば、もしくは匹敵するような興味や情熱の矛先が他にあればそのままでも進めた気がするけれど
どれもままならず、こなす為の心身を保つためにじっとしていたのが2月だった。
まとめたいものは沢山ある。
こういう文章や、年始に作り始めた少し気に入っているトラックや、物理的に離れてしまう友人との次の約束や。
そこに先々の希望が詰められているので、手付かずで開けてもいない状態で並ぶ現状にとても心苦しくなる。
仕事に辛さがにじむのは当たり前なので、良くはないが仕方ない。
それで少し生活が停滞しても、それは広く見れば谷で、山に向かう時期もいずれ…とやや楽観的に捉えたりする。
ただ先ほどあげた中にある「他者に向けた感情」を整理できていない事実に気付いた後は、様々なやりがいも無味に思えてくるほどの辛さに巻き付かれる。
でも、「何を取得したいかは各々それぞれだ」と、ある種差が出るのを促すような口調で今までを進んで来ていたつもりが
意外と自分だってメジャーな面持ちで、絆や甲斐性に重きを置けるんやんとも感じて、ちょっと元気も出た。
自分の歪さは突出ではなく異物感なんだからとブレーキをかけることが、かなり少なくなったとはいえベースとして敷かれ続けていたのを
今剥がしたいかもしれない。
そう見えたのであれば、見えたと信じられるのであれば、また頑張れそう。
懐かしさでずっとやりたいと思っていたマリオのゲームをついに頼んだので、
それは必要な癒しとして、いっぱいやりたい。
経て行く
心が今までのノウハウじゃ通用しない振れ方・倒れ方をするときがあって、
そのときのスローモーションみたいな感覚と、そこからむくむくと「何か」として膨らむ感覚が、初心として覚えて携えているものとは全く毛色が違うのに気付く。
新鮮さではない、煮凝りのような何かの味は結局分からず
そわそわしては横に一旦ズラして、ずかずかと目の前の明確なリミットを消化することに努める。
そうするとやっぱり、しばらくすると夜な夜なアザの如く浮き上がってき始めて喉も頭も締め付けられるような感覚に追われる。
やらなければいけない訳ではないことへの折り合いというのは、歳を取る度にどうしてもポーズを取って外にも内にも見せないといけなくて
答えなどないのに「スタンス」として表明しては、また有り得ないレーンに乗せられて、正誤を勝手に貼り付けられて押し出される。
それぞれが介入する道すがらで徐々にうやむやになって、結局誰の感想かも分からなくなり
気分次第で周りのせいにも自分のせいにも出来る、むなしい空の駒だけが手元に残る。
嫌だなと感じるので、そんなガワに執着せずにマイペースにいようとも努めるし
ガワを交えてシステマチックに進めると早く終わることもあるのを知っているので、無関心の仕事や関係を乗せる台として使ってしまっている自覚もある。
矛盾の集合体が人だとして、その虚しさもそこに含まれる要素だとしても
「だから」と束ごと成長・好転出来たり、解決するなんてことはない。いつまでも細かく根付いたままで、足を絡め取られるひとつひとつにちゃんと気付いてしまう。
経験とは何て息苦しく、果てのないものなんだと
この先に何かあるのか、それかこれ自体にしか味がなく、道中に何か名前を付けようとするのはただの傲慢なのかと、
思ったり思わなかったりしていたら夏も終わり切った。
