kutta

たまに

山川

 

 

テレワークになり ひと月半

全てが自宅に集約されるからどうしても感覚が個に偏ってきて 


たまに気を付けて、
自分で髪を切ったり髭を伸ばしたりしっかり着替えたり
対外的な要素に注力してバランスを取っている。

 


どちらかというとインドアやから空間にとどまるのは苦じゃないけど、
人と面で話せないことは思ったよりも辛く。

所謂「オンライン飲み」に馴染むスピードは早かったと思う。


このタイミングでは気掛かりが多岐に渡って、アウトプットもままならんから鬱屈してしまうけど
ウェブカメラに映る自分の顔から友人がぱんと出てくると、嬉し過ぎてにやにやしてしまう。
照れ隠しに酒を飲んでしまうので、毎回絶対に乾杯の音頭を追い越してしまう。


圧倒的な現環境の話をシェアしたあとは、お互いのミニマルな部分を披露することも結構多くて
直に視線・ボディランゲージ・タッチで表現出来ない分、各々の原風景が見えるような言い回しになったりする。

 

根本の話を根底から話すのはすごい健康的で
一瞬で血がくつくつと巡るような感覚に落ちる。

 
そういう時は、最近の日々にないフレッシュさに当てられて
寝付きが悪くなり 眠りに入るとこんこんとこける。

 

 

中々会えない人とも話せていると段々自分の中でも時代感が薄れてきて
一個人として、馬鹿のままじゃ駄目やという鼓舞が、より鮮明に前に出てきている。
「正気でいたい」というか

 
ずっと持ち続けているスタンスではあるんやけど、
焦りでも、向上心でも、侘しさでもなく、
ただ他者と向き合いたい と考えつく時にそばに必ず有る。


出来る限り伝わればいい

その先どう転ぶかまでは願わんようにするから…  という

卑屈なほどの、人と意思を持ち合わせたときのその初速を求める気質。

 

 

たぶん子供の頃にうまく大人とも同世代とも馴染めず話せずやった反動ではあるんやけど、
その「せい」ではなく、しっかりと地続きでその前後で全く変わってないように思えるのは
虚しさと頼もしさが両脇で中速回転しているようで
すごくスポーティーな気持ちになる。


ノルマというかToDoというか
洗顔 昼食 ぐらいの面持ちでそこにある。

 

拙いからこそ、そのディティールだけは
自身でしか捉えようの無い部分だけは伝えられるだけ伝えないと…と
体の何処かから駆り立てられる。

意義だったり 有益さだったりを提案出来ない自分の
唯一の役目かと思っている。
近しい人に対して出来る目一杯

 


それを言葉で綺麗には、結局まだ言い表せられんのやけど
いつか言えるときまで
少し馬鹿じゃなくなっていれたらいいなと
歪な鼓舞をし続けている。 


日常は続く

 

 

 

お題「#おうち時間

 

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