kutta

たまに

hb

 


「意味を問うのは、よっぽど余裕があるときにしようね」と決めるのに
夢中になりうんうんと思考に落ちていくのがいつもの誕生月周辺で。

 
今年もそこに、だんっと飛び込んだんやけど

体力に余裕が出来たのか
感が鈍って削がれ難くなっているのか

滅入ることはなく、無になり
狭い焦点をぐるぐると回して状況把握に努めていた。 

 

仕事は忙しく、
新しい友が増え、
原点回帰かの如く機材をもりもり調達し、
意図的なものも込みで、内外ともにメリハリがあった秋だけれども

想いとしては変わらず
折り重ねる様なふた月半やった。

 

昔なら「進化の無さ」と見て
憂いたり焦ったりしていたけど、それもとんと無い。

潜るも浮かぶも無くもう波そのもので
何かを押して、何かを引き寄せて
その時々での自分には仕上がるけど肉感はなく、さらっと過ぎる。

霊体みたいやなと過り、
どっちが霊的なのかも曖昧で。

身体に縛られてる感覚と精神に引っ張られる瞬間とが
はっきり感じ分けられるようになってきて、
どっちの状態も許せるようになったんかも。

 

成す 成さない から二歩ぐらい離れるのが
正しい様な気がしてきた。

最後にゼロになっておける様にしたいな

 

 

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年に一回ぐらい、くちゃくちゃの仕送りが届く。

大体が母のレコメンドで、ご飯、お菓子、日用品と
僕の嗜好はすっとんだ乱痴気チョイスの盛りがデンと詰まっている。

変なカンカンから剥き身の頭痛薬とチョコふた粒が出てきたりすると
アドレナリンで目が冴える。


似てないけど似てるんやな
「これが血や」と勝手に腑に落ちる。

はっとする起点
良しとするジャッジの仕方が一緒なんや。


そうでは無かった時間も長かったから
「俺たちは進化している」と、わざとらしく まあまあ本気で思いを巡らしたりしている。

 

 

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インスタのストーリーでこっそり歳を取ったことを発表したら
好きな人達が各々のオリジナルな言い回しで祝ってくれて、
ううう堪らん!と思いました。

生きてきてよかったと思ったから、誕生日としてむちゃくちゃ清いね。

器用で不器用なみんながとても好きで、とても心強いです。
この情勢が落ち着いた暁には、力一杯ハグする

 

 

 

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