kutta

たまに

準備

 


今年は秋が遅かったから余計に、
「今月お誕生日ですね」と言われて「今月お誕生日やわ」と気付く。

振り返ると去年と温度感は変わらず、意識するもせんもなく
大きいタイミングでの抑揚に沿ってのうのうと生きています。

 

制作してみようとなっても
懇々と というよりはただ手を置いてるぐらいの、日常生活と完全に混ざったような感触で。

焦りも滾りも薄く薄く絡んでドライな訳ではないけど
酔いはせん、イージーな、プレーンな状態。

 

繰り返すことで「ここが今の中心かな」という部分が見えはするんやけど、
それを呑むでも遠ざけるでもなく只見る

時代的にも考えざるを得ない部分があり、自己問答や投射を、意識の裏で続けて
表は凪な1年だった様に思える。


書き連ねてみても、「良いも悪いもないな」という
近いスタンスの答えが湧いて

でもそろそろ指針となるものの見直し・再構築をしたいなと過り始めました。

 

 

この間久しぶりに新しい人と会ったときに、異様に風通しの良さを感じて
体力の戻り…!と踏んで 内側に掘り込むギアを入れた所、一周した新しさに突き当たれそうな感触があった。

まだバリバリと とはいけず的外れの率も高いけど、
意識的な目標の中に感覚的なものを投げ込むと、そこの隙間の摩擦で次が見えたり、短絡的な目標がぽこぽこと生まれて活力になったりするから
面は揃えず、滅裂を許すというのも大事やなと思い直す。

ヒステリックに指摘したり燃えたりする体力がもうあんまり無いっていうのも無くはないけど…

 

 

関係に関しては『共有』じゃなく『介入』と思っている節があり、
なかなか他者との踏み込んだ時間というものにポジティブになりきらん面がありましたが

時間がまたすごく経ったときに、自然でいることに不安にならんように
諦めと自信をちょっとずつ慣らして、折り合いを付けていこうと思います。

 

寂しさ侘しさに呑まれるのも
体力があるときの能動的な自分も
「ある」なら一旦認めて携えてみる。

温度の低い面も 煮えてる時間も
等しく我がで、やっぱり逃げれんね。

生活をすることは何処かに潜入している訳ではない
圧倒的に当事者なんや。