久しぶりに「Before Sunrise」を観た。
ハタチそこそこで初めて観たときに衝撃を覚え、
確認するかの様に数年に一度観返す映画。
自我の形成に焦る時期に観たお陰で
間というか粘度というか、影響を受けた残り香が今にもしっかりと漂っている。
何事もしっかり咀嚼してみるという事と、あわよくばそれを共有したいという願望と。
過去の自分のベストだったことがハッキリと透ける。
そしてもうあまり焦れないということに気付くけど、それには少しの虚しさと気が引き締まる凛々しさを感じる。
第何幕かの始点からどんどんと離れていくのは、時間に沿っているから健康的で安心出来るし
次に近付いている不安でどこかのスイッチが上手く入って、めげずに居させてくれる。
「あの頃」と比べると、現時点はもっと抽象的で、現実的になっていて。
無限ではないことを知ってからの自分にも、また少し違う期待を抱く。
その中でも「未知」の求心力はやっぱり強くて、変わらず惹かれるけど
それに属す怖さが年を経る毎に減っていっているのは、前進も後退も外にしか無い基準だと知ったからかもしれん。
有限に対しての、ある意味の反抗・図太さも関係はするが、それは自分の場合は積み上げではなく変動やから
きっと思い出せないくらい多くを諦めたことで今居るんだろうなと想像する。
手癖の輪郭は濃く、「変わらないね」という意見を人より多く頂くタイプなんやろうけど
自分と世との輪郭が、ゆっくりとでもシャープになっていってるから
夢想することに否定的ではなく、し続けていた自分の姿も赤の他人の様に淡々と思い出す。
何かぶらなければただ孤独なだけで悲しくはない。
孤独は悲しくなくて、ただ一人なだけ
二人目が自分の中にいることで、初めて悲しい。
そのループは等しく今も在って、
夜と朝の反転と同じく、他者との邂逅と別離は付き添って来るから
別れの前借りを繰り返して、なんとか果てまで頑張る。
外でグラスでワインを一緒に飲む人は、たぶんまだ探してる途中