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マイク・ミルズ監督作はすごく好きで、前作前々作と、くっと引き込まれる何か画一された空気があって。
どの作品にも文法めいてない、メソッドくさ過ぎない
ひと息で言える範囲で、ぽとぽととただ意思表示している様な
朴訥さみたいなものを感じる。
その空気には穏やかさも、所謂他所のリズムだという いい意味での居心地の悪さもある。
そこに含まれた色々が過剰じゃないのは過去や今の時代を否定・肯定の軸ではなく、そこを横切った自分が蓄えたもの として並んでいるからかなと思う。
その様がすごく腑に落ちるのは、自分とそれのレベルとかではなく
似ているからでもなく
ただ向いている方角に重なる面があるだけな気がする。
「似てる」「似てない」と言い合うシーンがあって、
映画としては照れ隠し・じゃれあいの意やとは思うけど、そこに自分の今のテンションを投射して感じ入ってしまった。
始まったのはかなり昔からやけど、最近さらに
他者との、肉体的・精神的な境目を強く意識するようになっている。
大枠でもう一度言い換えると、
各々の自己問答が独立し続けるところに自分は信頼を置いているんやな と再確認した。
個だという自覚に区切りも終わりもない
「個であり続けられるか」ではなく、「個からは逃げられない」というスタンス。
開墾していくのは自己と外との狭間の、余波の部分で
外をそのままひっくり返すということは不可能で。
「自分は外にもなれる」と言うと全てが無になるから、やっぱり問答という名の摩擦に希望を託して
エネルギーがあるときにはまず、他者を見ては悲観したり屈託のなさを求めたりする
それも終わらないんだろうなと思う。折衷がないと生き進めていけない
今作に対してのマイク・ミルズのインタビューも、すごく近く思わせてくれるものが散りばめられていた。
「私はいつも途方に暮れています。どうやって他者とコミュニケーションをとればいいのか、どうすればより良い関係を築くことができるのか。さっぱりわからない。」
「他者がどのような視点と色調で世界を見るか。その視点の行き交いを理解することが、この世の中の肝心なことだと思います。」
対象の切り抜き方というのがあるとすると、ピッタリでもデコラティブなアレンジをするでもなく
対象とその周りを、フリーハンドで線を整えずに
その瞬間の時勢・個人のバイオリズムもそのまま飲み込むようにざっくりと切り取れれば、
もう少しマシな受け答えが自分にも出来るようになるやろうか。
もっと日々を纏めてみたいと常に思っていたので
今年はうんと踏み込んで、新しいことにも手を伸ばしてみようかな…
自分の中の匂いをまず嗅ぎ付けるのは、集中出来ていれば自分。