kutta

たまに

目を澄ませて

 

12/16

 

12:24東京駅着。ホテルに3泊分の荷物を預けてからまず新居候補をなんとなく探す。

目星も付いていて、新しい生活圏もざっとは想像出来ている。予算もちゃんと分けて保管して必要な手続きも振り返っているけど、
それでもまだ新天地なんだということに対してボンヤリしている。


進んで目一杯想像するし、親しい人達が1番いるエリアなのでふと会えるようになることがとても嬉しい。
でも、大人になると「やろうと思えば出来る」ということが金銭的にも時間的にも工面し易いから
さあ新しくというスイッチがかなり深く・遠くなる気がする。

でも、それに対して居心地の良さと安心も覚えていて、加速度的な進化を追い求めてはいないし
会いたい人たちとみっちり会えるこの4日間にとても高揚出来ているので、充分かなと思う。


でもでもの隙間で仕事をこなし、最寄りの店に入ってパスタをクーポンで食べ
浴槽に30分浸かって就寝。いい家は無かった。

 

 

12/17

 

昼にS君と上野で集合し、香港料理を食べる。今年最後は年末とクリスマス感を浴びにいってみる回に。

久しぶりに東京駅周辺を練り歩いてみて、やっぱり人が多いなということと、もうそんなに「何処にいるから」が起点となって感想が変わることはないなーと気付き、瞬間瞬間で感慨深くなる。

さみしさだけではなく、過去に残してきたタスクを消化していっているような気持ちよさもあるので、感想を揉む度にパズルのように再構築されていく今の自分が新鮮でもあった。


組み立ててくれるのは間違いなく隣にいる誰かであり、ひとりではただアイデアが宙に浮いているだけで。
それで済むならきっとそうしてしまうが、生き残れないので少しずつ誰かに何かを開示する。

楽しさ・嬉しさはほとんどの場合で気付いた瞬間にグンと伸びるし、歴の長さで尾が付いて、どんどん変化する・尽きない充実感がある。
それを何にも押し付けずに許しながら、しっかり頭に根付かせられる自分がいる瞬間というのが「この人とは」と腑に落ちるときの定番で。

本当は許さなくてもそもそも見つめなくてもいいそれを、わざわざ持ち出させて掠めさせてくれる というのが自分にとっては有難いのかなと感じた。
人との交わりはどちらにでも伸びる、様々な意味でのチャンスだ。忘れたことはきっとないけど、覚えたままでいたいなとまた輪をかけて願う。

役割とか関係なく、ただ好きな人だ。有り余る程の愛情を抱くが恋と表されるものとはまた違う気がする。
近いうちに会えればいい。距離以外も、何もかも
見当たるうちやなと思う。

 

ジンギスカンを食べた後にどうしてもケーキを食べたくて、でも22時を過ぎていてどのカフェのラストオーダーにも間に合わなかったので
目黒駅の成城石井でチーズケーキとコーヒーを買って、外のテーブル席でつつく。
この日のハイライトだったと思う。

 


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12/18

 

ロビーに降りると4、5歳ぐらいの子供がポケモンの人形を掲げながらよろこびのダンスをしていた。
パチリスというキャラクターだと言っていたので、何となく行きしの電車で調べていたら乗り換えを失敗しかける。

 

N君と渋谷で集合し、昼ご飯にファラフェルサンドを食べる。初めてずくしやったけど場所も味も大好きになって、絶対に何度も来ようと決める。
足早に出ると時間ギリギリにユーロスペースに着き、「ケイコ 目を澄ませて」を観る。

 

きみの鳥はうたえる」を観たときにも感じたけど
登場人物各々の営みが作品内に当たり前に点在していて、交錯はするがしたから必ずどう という事でもなく。
是非ではない、本当の繰り返しをそばで見ているという感覚になる。

ただ要所要所に他者に強く踏み入られる瞬間があって、その不快感。そして不快感を覚える自分自身への不快感という上塗りの流れ。
鮮明に、でも流れるように出入りされるその瞬間にハッとさせられる。

 

昨日一昨日の反芻に繋がる部分もあって、色々入り混じり始めるも
それに気付き尋ねてくれる人なので、そのままで居る。受け流すでも受け入れるでもない独自の間の問いかけをいつも持ってきてくれるので、自己紹介となり得る言葉を気取らずにシンプルに出せる。

お陰で余韻が抜けることなくサウナに向かい、しっかりフルセットで1時間半程楽しんだ後夕食に向かう。

 

この辺りでやっとその日のN君というのがまざまざと立ち昇ってきて、遅れてきた感動をビールを飲む合間合間に伝えていた気がする。
僕は愛情表現をすること自体には照れがあまり無く、空気や距離はすごく身測るけれど
新鮮なうちに伝えられればなといつも過る。

 

なにかの感覚を横切った瞬間をとても気に掛ける所が共通していると感じていて、
今回も発する言葉ひとつに対しての感想を、思い付いた場合はしっかり伝える時間がどのシチュエーションにおいても存在していた。とても心地良いし心強い。

積み重ねることは億劫になりやすいけど、その先に気になることがあるんだからやるしかないよねという、腹を括った勇ましさを見る。それを携えたN君はとても優しい。


山手線の乗り換え時に握手をして解散する。二軒目の居酒屋でN君が店員さんに頼んで撮ってもらった2ショット写真が送られてきて、ほくほくし続けたままホテルのまわりを散歩する。

「N君のこういうところが好きなんよ」と もうちょっと伝えられたなと、良い目の後悔を噛み締める。

 


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12/19

 

最終日か…という虚しさに浸る時間はとくに訪れず、ちゃっちゃか残務を片付けるために早めに起床。

いつもは勉強やと思って転々と泊まり先を変えていたけど、今回は3日間池袋の同じホテルに泊まったので少し街に愛着が湧いた。きっとまた無茶苦茶時間が掛かるやろうけど、こうしてひとつずつ解像度を上げていけば「居場所」に出来る日が来るだろうか。

全く分からないけど、「分かるときがくるという慢心はしない」というポリシーの裏をとって、センチになりかけても一旦早めに畳む技を身に付けた。でもそのディテールを忘れたくはないので、こうしてメモを取る癖も付いた。

感覚の仕分けを(自分なりに)上手くなることを過去に思い描いたことがある気がして、あながち逸れたところに着いてもいない気がして、期待が低いことのメリットが出てるんじゃないかと歪なポジティブに背を押される。

 

仕事を片付けてK君とのランチへ。出会すとパタっとオフィシャルな自分が倒れて、一瞬で間抜けさがしゃしゃり出る。

僕はリラックスすればするほど「話が突飛だ」と言われがちやけれど、K君とは同じぐらいのテンポで話題を飛び交い合えるので、いつも後から振り返ったときに何を話していたのかあんまり覚えていなくて笑う。


そのスピードのままギリギリまで話していたいのを察してか、いつも東京駅まで一緒に歩いて来てくれてお茶し直したりする。
ただただ楽しいことに変わりはないけど、あまりにも帰路のつき方が拙いので見届けてくれてる部分もあるのかも…と今回気付く。直せる予感は少しあるので、また見守って・見届けてほしい。

 


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帰りの新幹線ではいつもSpotifyのお気に入りリストをぐっとスワイプし、中段ぐらいの曲たちを聴きながらジンとしてみたりしがちだったのに
今回は1番上の曲から再生して、持ってきていた読みかけの本の続きを読んでいた。

思っているよりは平気に暮らすつもりなのかもしれない。

 


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